恋愛や勉強、スポーツ、仕事など人は様々な夢を持ち、一生何かを求め続けて生きています。
それが人本来の姿であって、達成に向かって頑張ることが生きている証、生きがいとも言えるのではないでしょうか。
こうなりたい、ああなりたい、しかしどのような心持ちでそれを求めるのかによって、また本気か否かによって、結果とその後が全く変わってきます。
まず、自ら求める求めない、あるいは気づく気づかないにかかわらず、人はそれぞれに生まれながらの命に宿る「宿命」ともいうべき各々の役割があるのだと思います。
それが個性にもなり、そしてその役割を全うするため自らの命・魂を磨き、人に尽くし、世の中に貢献することによって「幸運」がもたらされるのです。これが運命であり、この逆が悪運です。
人が幸せを求めることは自然なことですが、一人では幸せはつかめませんし、本来の幸せを感じることも出来ません。幸せになる為には、自分だけではなく、まわりの人を幸せにすることが大切なのです。その手段として、命をどのように使えばよいか、命を無駄にせず、まわりの人々の為に何が出来るか、もしくはしなければならないかが使命であり、それを果たすがために努力した結果、神様がどう認め、どのような現象であらわすかが天命といい、これこそ人生かけての最上最終の段階ともいえます。
つまり、思いと努力なくして次のステップには進めないし、結果もそれなりということです。これこそが天命といえるまでの本気と実行が必要なのです。
その根底に神道では「誠」の心を大切にしております。神様と自分しか知らない心とでもいうでしょうか、清らかで素直な心がすべての現象の源となります。
思いを遂げるにはそう簡単にはいかないのが当たり前で、立ち向かうか逃げるか。後悔しないためにも全力を尽くすのみ。やるべきことを怠っていては、神様から頂いた命を無駄にするようなもので、最も神様や先祖に対して無礼にもなります。
どんな困難も神様が与えた、その先に待っている達成感や幸福の為の試練であり、正しい心での努力は決して無駄にはなりません。
明治天皇は「目に見えぬ神の心に通うこそ 人の心のまことなりけり」 とお歌い遊ばされております。時代が変われども、目に見えぬ限りない神のご加護と感謝の祈りを捧げることは連綿と続く日本人の信仰であり生活であります。
それこそ困った時の神頼みだけではなく、日ごろこそ大切で、折にふれ神社に参る、神棚に毎日手を合わせる、いつも感謝の心を持って生活する、そういった日々を自ら確認し、自分本位になっていないかなど、毎日改善することが大切であると思います。
恋愛でも、片想いやなかなか良縁に恵まれない、あるいは相手とうまくいってないなど、悩みは絶えないものです。
神道では、何事もご縁は神様の産霊(むすび)の力によるものという考えです。
そして命を大切にするということは、先祖から戴いた命を次に繋げるということでもあるのです。私たちには神代より神々から脈々と受け継がれてきた尊い命を子や孫に引き継ぐことが使命でもあるのです。昨今の風潮は自然にも反するようなもので、生きとし生けるものにとって、生涯の伴侶と結ばれ、子孫繁栄に寄与することは私たちのが最大の使命ではないかと思います。
その為に神様から良き縁を頂けるよう、自らを向上させ、相手を思いやり、そして勇気をもって前進することが、神様の御心(みこころ)に叶う一歩となるのです。
目標や願望を達成するためには、何の為に誰の為にやるかということが大切です。
自ずとモチベーションが変わってくるとともに、大所高所から見て効果的な方法を見出すことが出来、さらに向上心が生まれます。
何事も積み重ねによって結果がついてくるものであって、忍耐がなければ成しえませんし、努力以上にうまい方法なんてありません。仮に楽してうまくいっても何の喜びにもならないでしょう。
日本人が経済や学問、あるいはスポーツなどあらゆる方面で世界に活躍するのも、日本人にしっかりと息づく勤勉な精神の賜物だと思います。経済の発展もその証です。
それは急に現れたものではなく、全国に広がる美しい田園風景からも分かるように、神代の時代に神様が私たちに託された「稲作をもって国作りをせよ」という稲穂の神勅をはじめ、脈々と受け継がれてきた勤勉な精神や神様からの尊い教えが私たちの中に生きおり、自分の中に神様が宿っているからなのです。神様つまり自分が納得するほどの努力と、鏡のような嘘偽りのない心にこそ、神様が力を与えてくれるわけで、自分の思っている力以上の結果が自ずとあらわれます。
しかしそこに神意があり、天命かどうかにもよって今の結果の良し悪しが変わることもあり得ます。つまり、今は思うような結果にならずとも未来のためという、神様しか分からない力が働くのです。今が終わりではなく今がまた新たな始まりであり、どんな結果になろうとも明るく一生前進し続ける、そして最善を尽くす、それぞれの役割はずっと続きます。
それが神の道であり、人の道。その道を踏み迷うことがないように、自分を見つめ直す、そして疲れていたら力を頂く、そして思いを確認する場、それが神様の前です。時々神社を訪れるとよろしいでしょう。