今も残る大橋、柳橋、大木戸、倉元の地名、今はなくなった道岸寺、道内寺の跡、大八山の館跡、古墳と言われる入道原の伝説から想像すると、かなりの繁栄をきわめたのは間違いないようです。それ以後、坪沼はかつての賑わいを取り戻すことはできず、江戸時代に入り天明・天保の大飢饉にあい多数の飢餓者を出し、一時は全くの寒村になったということです。明治時代に入り坪沼村は茂庭村と合併して生出村となり、林業・養蚕で全国三大模範村の一つに数えられたこともありました。昭和31年に生出村は仙台市に吸収合併され今日に至ったものです。
杜の都仙台にふさわしい自然に恵まれ、伝説の多い、民族資料の宝庫でもある坪沼は、小遠野と言われ静かなブームを呼んでいるように、これからも守り伝えて行きたい地域です。