仙台市近郊で都市化が進む中、今も昔と変わらぬ風景が残るのが坪沼地区。
地名にも見られるように大昔は沼地であったようですが、山々に囲まれた盆地の地形に清らかな水をたたえ、その中央に城山である鎮守の森が浮かんでいるような、坪庭のごとく美しい桃源郷であったように思いめぐらされます。
仙台市の西南部に位置し、市の中心部からはわずか12km、車で30分足らず。東に名取市、南に村田町、西に川崎町と隣接した農村地域です。低い丘陵性の山地に囲まれた盆地で、北に大八山(267m)西に愛宕山(324メートル)が見えます。古くから拓かれた交通の要所でもありました。縄文や弥生土器が出土し、中世の館である根添館跡も残させています。地名からもかつては大いに栄えていたことが窺えます。民話の里としても知られており、伝説や古い風習も数多く残っております。今でも新緑の季節、また稲が黄金色に輝く季節には特別観光名所もありませんが、何か引きつけるものがあるのか訪れる方も少なくありません。
住民の多くは「勤め」で生計の大部分を賄い、週末に田畑を耕す典型的な第二種兼業農家です。人口は622人、161世帯(坪沼小学区・平成15年10月1日現在)。家々が小高い山裾に張り付くように点在しています。百万都市の一角にありながら、農村の伝統的な生活様式を受け継ぎ、今に生かしています。そして坪沼には自然に働きかけ他と交流しながら創り上げてきた歴史と文化があります。
1956年に仙台市と合併するまで、坪沼は茂庭地区と共に生出村と呼ばれていました。
明治の頃には日本三大模範村にも数えられたこともありました。近年茂庭は山が切り崩され、高層マンションが建ち並ぶベットタウン。一方、坪沼は里山の豊かな自然環境を残し、住民が農作業などを互いに助け合う「結」の心が生き続けています。春は一家総出の田植え。夏には蛍が乱舞する。自然とバランスを保つ営みは、一つ一つが豊かさに輝いています。
坪沼には、根添・北・中沖・板橋の4地区があり、それぞれ集会所を持ち、地域活動も盛んに行われています。坪沼は人の身の丈にちょうどあった風土です。そんな坪沼住民の手づくりで始まり、夏の風物詩になった「蛍と平家琵琶の夕べ」があります。そこには坪沼小の児童も篠笛演奏「祭り囃子」また、手作りの灯籠で参加します。
また坪沼は未来を創る次代を担う子供たちの教育に大変熱心です。坪沼小学校は明治6年開校以来小規模校ながら、地域との連携を大切にした特色ある教育、特に田んぼを借りての米作りや祖父母と一緒の縄ない教室などを通し情操教育に力を入れ、またまちづくりに子供たちも参加しています。
平成17年には全戸あげて地域再生を目指し「やるっちゃツボヌマ」を組織し農業を中心とした様々な地域振興に取り組んでいます。また、バス路線廃止に伴い、車のない子供や老人の足を確保しようと「乗合タクシー」の運営もはじめました。
地域住民は自分のことなので意識はありませんが、地域愛の深い地区、また素晴らしい環境を持った地域として、特に人々と生活環境に様々な方面より注目がされております。
坪沼の田んぼは山村でもあることから様々な形態があります。きちんと区画が整理された水田、山間の棚田、昔ながらのいろいろな形をした水田と、しかしどの田んぼも手入れの行き届いた美しい水田です。
坪沼の中心を流れる坪沼川と、ぐるりと囲まれた山から湧き出る清らかで豊かな沢水を源とする水が、坪沼の美味しい米を育んでおります。神社の廻りのきちんと区割りされた田んぼは、昭和45年頃国の構造改革事業として助成を戴き耕地の整理を致しました。1枚約2~3反歩に整理し、堤・ため池や水路、農道等を整備し現在の水田になりました。当時の人々はその際の条件として農振地域の指定を受け市街化調整区域になり農業を主体とした地域として、そしてそれ以外の開発をしないことを決めたのでした。坪沼には祖先から受け継いだ田んぼを大切にし、自然と共生しながら、稲作を中心とした日本古来の心豊かな生活が今も生き続いています。
環境にも配慮し、無農薬が浸透し、夏には昔と変わらない蛍も乱舞するといったすばらしいところです。